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​大羽智貴のまとめ

この授業が行われた本年度2016年度はAIがあらゆる業界や分野で実際に活用され始めたいわゆる「AI元年」と呼ぶことのできる1年だったことをご存じだろうか。例えば、8月には国内で初めてAIが白血病患者を救った。同じく8月にはAIが著した『賢人降臨』というタイトルの小説が発表された。9月にはYahoo知恵袋などで恋愛相談にAIが答えるシステムが導入され、お笑いライブには大喜利ができるAIなるものが登場した。10月にはバンダイナムコが「AI少女育成プロジェクト」を発表。11月には、JINSが似合う眼鏡をAIが判定してくれるシステムを導入。さらに、アメリカではAIによる自動運転のトラックが200㎞の公道での運搬に成功した。このように、医療からエンターテイメントに及ぶまでの、まさに様々な方面・色々な分野でのAIの実用化が次々と現実のものとなっていったのが2016年であった。

我々はほんの数年前までこのような技術が実現することなど考えもしなかっただろう。トラックで物を運ぶのは人間であるのが当然であり、小説を書き記すことなど人間の手以外では不可能だと思っていただろう。いや、そんな当然すぎる当然のことなど一瞬の考える余地もなかったであろう。しかし、その「当然」が当然のように覆る時代がすぐそこまで迫っている。いや、もしかしたらもう到来しているのかもしれない。

“2045”の他のメンバーも述べているカーツワイル氏が提唱した「2045年問題」は、実際の到達点はもう少し先になるのではないかというのが今現在有力な説ではあるが、2016年に現実となった数々の出来事を考えれば、今後数年数十年の間に数々の人間が行ってきた活動がAIにとってかわられることは確実だ。例えば、トラックなどの運転手、スーパーのレジ、ホテルの受付等の立場はもう危ういと言って良いかもしれない。

では、我々はどう立ち振る舞っていけばよいのだろうか。私が忘れてはいけないと思うのは、社会を形成していくのはこれからもあくまで人間であり、考えるのがAIになっても、ある立場がAIに代わられても、その社会でコミュニケーションを行っていくのは結局人間同士であるということである。つまり、シンギュラリティが起きようとも人間が主体性を失っていくことはないのではないのか、ということである。未来を想像したときに、ほんの数年前までは「ドラえもん」や「バックトゥーザフューチャー」のような明るい世界を想像できたはずなのに、シンギュラリティや2045年問題が現実味を帯び始めた現在、どうしても暗い未来や不安を拭うことができなくなってきているが、しかし、私は明るい未来を想像し続けてよいのではないかと思う。あくまで、人間が主体であることに代わりはないのだから。

AIがチェスの世界チャンピオンを破り、電脳戦でプロ棋士が劣勢を強いられ始めてから久しいが、本当に人間はチェスで、将棋で、AIよりも弱くなってしまったのであろうか?私から言わせれば、全然全く断じてそんなことはない。なぜなら、駒を動かしているのは現時点では結局人間ではないか。AIは駒を動かせないではないか。考えて、駒を動かすまでがチェスである。将棋である。AIが人間に勝つというのならば、自分で駒を動かすアームを携えてから出直してこいと言いたい。人間、まだまだAIには負けていないのだ。

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